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フランスのストライキに見る労働者のSolidarité(ソリダリテ=連帯感)

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かれこれ数週間前の話になりますが、フランスの美術館労働組合によるストライキがありました。パリでもルーブル美術館やオルセー美術館、ポンピドゥーセンター、凱旋門など有名な美術館や観光名所が、ストで閉鎖され、その時期に訪れた観光客ががっかりしているシーンは日本のテレビでも報道されていましたね。
フランス:パリの美術館、一斉スト 職員補てん巡り労組が抗議 観光客がっかり – 毎日jp(毎日新聞)
そのニュースを見ていて、フランス人と日本人の労働者の結束力の違いが興味深いと感じました。(※私は、労働関係の専門知識を持ち合わせていないので、あくまでのこの記事は、メンタリティーと主観の話です。ご了承を。)
自分の職場で「人員削減がある」「人員は半分に減る」という場合に、日本人はこのような結束をするだろうか?と。おそらくNOです。いくつかの理由があると思います。ひとつには、わざわざ自分の国や街に観光に来た人たちにここまで残念な思いをさせていいのか?という良心から、同調しない人が出てくるのではないか、ということ。もうひとつは、全員が解雇されるわけではないシチュエーションで、全員が団結してストを行なうか、ということ。特に後者です。
日本文化において、職場や会社への帰属意識が高いことは特徴としてもよく語られますが、それは、平和な日常・雇用の安定が前提の場合に限定されるような気がしました。
私自身、以前に自分の勤めていた会社が事業清算・人員整理を行なったことがありましたが、その発表があった瞬間から、各社員はひとりで孤独に戦うしかありませんでした。その会社には労働組合がなかったため、明らかに守られるのは親会社で労働組合に入っている人です。そして、系列会社に残る予定の人は、辞めなくてはならない人とはできる限り関わりません。次の場所での立場やポジションを確保することが重要になるからです。余計なことをすれば自分の地位すら危うくなります。複数人での交渉は会社側から拒否され取り合ってもらえませんでしたし、あの時以来、どんなに大企業で働いていても、いざとなったら従業員はひとりで自分の解決策を探さなければいけない、ということを胸に刻みました。
一方で、フランス人は「人員削減」と聞いて、全員で団結して交渉に当たる。おそらく、職場への忠誠心や帰属意識からではなく、自分たちの雇用を自分たちで守る、という感覚なのかと想像します。フランスと言えば、ストライキというイメージも強いですし、何かあればストで交渉するという文化が当たり前だといえばそうかもしれません。他の業種での過去のストの成功も、こういった手法を取る理由のひとつだと言われていますが、もちろん、フランス人みんながこの手法をよいとは思っていないようです。
国営施設の職員や公務員の立場と、一般企業の従業員では、位置づけも違うのだとは思いますし、日本でも航空会社や鉄道会社はストを行なうので、一概には言えないとは思いますが。フランス語の「Solidarité」(ソリダリテ=連帯感)という言葉の響きにも興味がわきました。
それにしても、平和なときは団結しているがいざとなると個人で解決しなければいけない日本と、平和なときは個人主義のように見えるがいざとなると団結するフランスと、対照的だなと思いました。
・・・たまにはまじめに語ってみました。知識不足なところもありますが、話題提起という感じでお許しを。皆さんもご意見や思うことなどあれば、ぜひ教えてください。

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4件のコメント

  1. 隣の隣の国、フランスの話ということで、ついまたコメント。。
    オランダ、ストはあまりならないかなぁ。なんでかね。失業保険が手厚いからかしら。なんせ所得税が社会保障保険料のせいで高い。いずれにしても、少なくともストになって観光客に迷惑!という良心は、間違いなくないなぁ(笑)。
    絶対、ストで休める?ラッキー!みんなでやれば怖くない!というメンタリティだわ。
    あとヨーロッパ、歴史的に労働組合が強いよねぇ。近代、貴族が支配していた社会を、民主主義に切り替えるために必要だったんだと思うんだけど。特に英仏独のような大国だと、貴族も強かっただろうし(今も上流社会は存在するけども)。
    ちなみにオランダの三菱自動車工場では、人員削減で門で出勤をブロックする騒ぎがあったりはしてます。
    意見になってないけど、感想でしたー。

  2. 年末になって、派遣村のことがニュースで頻繁に取り上げられているけど、目にする度に胸がいたくなる。
    同時に(うちの会社も労働組合がないし)他人事ではないなぁ・・・って思うけど、実際に自分がそういう状況に直面しないと、そこまで深くは考えないのだろうな。
    やはりどこか他人事なんだよね・・・。
    日本は本当に平和なのかな??って、ミカちゃんのブログを読んで、改めて思いました。

  3. そもそも前提としてフランスの公共労働者と日本の公共労働者の権利の違いがあります。日本では公共労働者の労働基本権がすべて認められていないのです。ILOから勧告されているにも関わらず,いまだに法的に争議権がない(善し悪しは別として)。
    ただ,確かに日本という国は民間企業のように争議権があってもほとんど争議しない状況がここ30年ばかし続いていますね(昔はすごかった…会社も私鉄もよくストを打ってた。国鉄はストが認められていなかったけど「遵法闘争」という一種のサボタージュをやってた。のろのろ運転の電車の車体にアジテーションのスローガンとかが書かれてたりとかね。子供ながらに覚えてる)。フランスも以前なら過激な闘争が当たり前(1968年の「五月革命」とか)だったのだけど,いまはいささか退潮気味。やはりソ連崩壊以降,サヨクが退潮しているのが最大の原因でしょう。それでも今の日本でストやったりすると「ふざけるな。氏ね」みたいな批判的空気が流れるのに対して,フランスは「あ,ストね。やってるやってる」と,同情とまではいかないけど理解はするのが普通,とは在仏経験の長い前職のボス曰く。
    そういう意味で日本人に「団結」はあるのか,といえば無いように思います。なぜなら日本人にとって権利は「天与」のものであって,フランス人のように革命でかちとったものでないからでしょう(日本人は市民革命を経験していないから)。「お上」意識の強さもそこに起因していると思います。常に自分は「支配」される側であり,何となく集団にいればまあ安泰,事は荒立てるなという意識。そんなモノは(たとえ平和時であっても)団結とは違うのではないかと。単なる「所属」でしょう。
    フランスだったらいざとなったら自分(達)を抑圧した権力への集団的抵抗になるんだろうけど,日本だとこれが個人的なテロル(むしゃくしゃしてたから無関係だけどそこら辺の人間を殺したetc)にしかなっていない状況が,そのことを物語っているように思います。丸裸にされたときにその矛先の向け方が実に内向的になっていく。。。
    結局のところ,組合や労働争議というシステムの問題以前に,「権利」というのが何によって得られ,護られているのか。そこが日本の場合は非常に曖昧なのでしょう(労使共々)。景気がよければそれでも回ってきたけど,今後はどうなるか…

  4. >かばちゃん
    フランスも失業保険はかなり手厚いと聞いたことがあります。だから、日本の失業率とヨーロッパの失業率の数字をそのまま比べてもあまり意味がないという話も。
    やはり歴史的な背景が違うと、ストの意味や捉え方も違うのですね。同じヨーロッパでも、また国によって違うのね。んー、奥が深そうだなぁ、、、。
    >モモちゃん
    私たちの世代(&下の世代)は、労働組合があったとしても入らない人も多いよね。日常的にはその意味を感じることも少ないだろうし。苦境に立たされて初めて、いろいろなことに気付くことも多いけれど、やはり、その立場にならないと気付かないのも現実で。私も、そういう経験がなかったら、こんなことも考えずに過ごしていると思います。
    日本は終身雇用制が長い時代続いていたから、身の回りでの「失業」という状況に、まだまだ慣れていないのかもしれないですね。
    >三郎冠者さん
    勉強になります。そう、日本は団結ではなくあくまでも「所属」という感覚、すごくしっくりきます。
    あと、どこかで日本人は「あきらめる」傾向が強いような気がします。これも歴史背景や、勝ち取った権利ではないからという側面があるのかもしれません。
    まさに、景気が良かったときはいいけれど、景気が悪くなって問題が出てきたときこそ、その違いがはっきりと分かってくるのかもしれませんね。

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